船を漕ぐ者 第二部

私が船を漕ぎ進めていると、時に海原は敵意をもって波を打ち付ける。
弾ける波濤が私を襲う。
塩辛い味とベタベタとした感触が容赦なく降りかかる。
波間に舵を取られぬ様に、私は必死で船を操る。
嵐の中で別の船を見ることがある。
中には沈んでいく船もある。
船の骸を見るたびに、その漕ぎ手の事を考える。
彼は果たしてどこに辿り着きたかったのか。

つい先日のこと、私の船も確かに沈み行くと思われた。
船底に穴が開いて水が噴き出した。
「もうお終いだ」
私は確かにそう悟って、船から水を掻き出すのをやめた。
このまま沈む運命に身を寄せそうと静かに目を閉じた。
目蓋の裏の景色が、私に手招きをしている。
だが船は沈まなかった。
力細い一本の綱が私の船に掛けられていた。見ると大きな船に何人かの人が乗っている。
彼は(彼女らは)煌びやかな美しい装いをしている様に見えた。
その煌びやかさは私に向けられているわけではなかったが、それでも私の目には眩しく映った。
その船から繰り出された綱が、細い細い綱が、確かに私の船に掛かっていた。
その手綱は、天鵞絨色であった。
「さぁ、もう一度水を掻き出して!船底を修理して!あなたの船はまだ漕ぎ出せるはずです。」
船の上から沢山の声が聞こえてきた。
私はその声に励まされて、再び沈み行く船から水を掻き出した。
船底に急拵えの板を貼りつけて、水が噴き出すのを防いだ。
私の船は沈まなかった。
気がつくとあの大きな船はいなかった。
綱もいつのまにか外れていた。
けれどもあの激励の声は間違いなく私の頭のなかで渦巻いていた。


穏やかな海を進んでいると、プカプカと浮かぶものがある。
変わった形の船だなと思って見てみると、それは棺桶であった。
銘は打たれていない。
中は見えない。棺桶はプカプカと浮かんでは沈み、浮かんでは沈み、やがて波間に消えていった。
あの棺桶はどこかの岸辺にたどり着けたのだろうか。
誰かと出会えたのだろうか。
きっと誰かに向けて自分の証を届けたかったのだろう。
けれどもその棺桶は、その『誰か』の下に辿り着くことなくこの海原を彷徨っているのであろう。
沈みゆく船もある中で、あの棺桶はなぜそのままでも揺蕩うことが出来ているのかは、私には知る術はなかった。
どうか彼が辿り着きます様に。沈んでしまうことなく、どこかの岸辺で誰かに涙を流させられますようにと、私は密かに願った。

それがまるで自分自身であるかのように。