私が船を漕ぎ進めていると、時に海原は敵意をもって波を打ち付ける。
弾ける波濤が私を襲う。
塩辛い味とベタベタとした感触が容赦なく降りかかる。
波間に舵を取られぬ様に、私は必死で船を操る。
嵐の中で別の船を見ることがある。
中には沈んでいく船もある。
船の骸を見るたびに、その漕ぎ手の事を考える。
彼は果たしてどこに辿り着きたかったのか。
つい先日のこと、私の船も確かに沈み行くと思われた。
船底に穴が開いて水が噴き出した。
「もうお終いだ」
私は確かにそう悟って、船から水を掻き出すのをやめた。
このまま沈む運命に身を寄せそうと静かに目を閉じた。
目蓋の裏の景色が、私に手招きをしている。
だが船は沈まなかった。
力細い一本の綱が私の船に掛けられていた。見ると大きな船に何人かの人が乗っている。
彼は(彼女らは)煌びやかな美しい装いをしている様に見えた。
その煌びやかさは私に向けられているわけではなかったが、それでも私の目には眩しく映った。
その船から繰り出された綱が、細い細い綱が、確かに私の船に掛かっていた。
その手綱は、天鵞絨色であった。
「さぁ、もう一度水を掻き出して!船底を修理して!あなたの船はまだ漕ぎ出せるはずです。」
船の上から沢山の声が聞こえてきた。
私はその声に励まされて、再び沈み行く船から水を掻き出した。
船底に急拵えの板を貼りつけて、水が噴き出すのを防いだ。
私の船は沈まなかった。
気がつくとあの大きな船はいなかった。
綱もいつのまにか外れていた。
けれどもあの激励の声は間違いなく私の頭のなかで渦巻いていた。
穏やかな海を進んでいると、プカプカと浮かぶものがある。
変わった形の船だなと思って見てみると、それは棺桶であった。
銘は打たれていない。
中は見えない。棺桶はプカプカと浮かんでは沈み、浮かんでは沈み、やがて波間に消えていった。
あの棺桶はどこかの岸辺にたどり着けたのだろうか。
誰かと出会えたのだろうか。
きっと誰かに向けて自分の証を届けたかったのだろう。
けれどもその棺桶は、その『誰か』の下に辿り着くことなくこの海原を彷徨っているのであろう。
沈みゆく船もある中で、あの棺桶はなぜそのままでも揺蕩うことが出来ているのかは、私には知る術はなかった。
どうか彼が辿り着きます様に。沈んでしまうことなく、どこかの岸辺で誰かに涙を流させられますようにと、私は密かに願った。
それがまるで自分自身であるかのように。